東京高等裁判所 昭和34年(行ナ)22号 判決
一、原告がその発明の鉛硫酸二次電池極板につき昭和二十九年九月十八日に特許を出願し(同年特許願第二〇、一五九号)、昭和三十年七月二十二日にこれを実用新案登録願に変更したところ(同年実用新案登録願第三四、四八〇号)、同年十一月十五日に拒絶査定があり、昭和三十三年三月十四日発送のその謄本の送達を受けたので、同年四月十日にこれが不服の抗告審判を請求したところ(同年抗告審判第七六三号)、特許庁は昭和三十四年四月十七日に、右抗告審判の請求は成り立たない、との審決をし、その審決書謄本が同年五月三日原告に送達されたこと、そして、右審決の要旨は、原告の右登録出願の実用新案の要旨を、「極板活物質の全表面をガラスマツトにして被覆し、更に塩化ビニリデンを主体とする共重合体濾過布をもつて被覆し、活物質の脱落を防止した鉛硫酸二次電池極板の構造」にあるものと認定したうえ、右考案は昭和十年実用新案出願公告第六、三四三号公報(A)、特許出願公告昭和二八―三、九二五号公報(B)及び昭和二十五年七月一日電気書院発行、羽生龍郎著「合成プラスチツクス」第一一三―一一六頁(C)の記載事項から当業者の容易にできるものであつて、旧実用新案法第一条の考案と認めることはできない、というにあり、右に認定した本願考案の要旨は原告の実用新案登録願の当初の説明書中登録請求の範囲に記載されてあるところを採用したものであるところ、原告は右審判係属中の昭和三十三年八月三十日に、右出願の説明書の登録請求の範囲の記載中、「共重合体濾過布を以て被覆し」を「共重合体化学濾過布を以て作りたる袋の中に挿入し」と訂正する旨の訂正書を特許庁に差し出したことについては、当事者間に争がない。
二、ところで、右訂正書にいつている「袋の中に挿入」とはどのようなことをいおうとしているのかというのに、原告は本件抗告審判の審判長の発した拒絶理由通知に対し提出した意見書において、本願考案の作用効果として、
(一)、袋の中に極板を入れて全面を被覆されているから、海綿状鉛による側面並びに下面の短絡は全くないこと、
(二)、袋に入れてあり、この袋は極板を自由に入れられるようになつているから、大きさに十分余裕があるし、極板の膨脹収縮に対し何ら支障を来さないこと、及び
(三)、両側は電槽との間に間隙があり、自由に膨脹収縮されるようになつているし、これに対して袋は何ら支障がないようにしてあること、
を主張したものであること、成立に争のない甲第一一号証(右意見書)及び弁論の全趣旨により明らかであることからみても、原告は当然に本願考案の構造として、その袋と内容物との間には十分に余裕があつて、内容物を自由に入れ得る構造を意図したものと認めざるを得ない。しかるに、本件審決は本願考案の要旨を認定するにあたり、原告の当初提出した説明書の表現をそのまゝ採用して、とくに「袋の中に挿入」の点を摘示していないのみならず、その拒絶理由として引用した前記公報(A)(甲第二号証)には極板の全表面を硝子綿繊維層で被覆し、更にその外側を微孔性ゴム層で被覆した鉛蓄電池陽極板の構造が、また同じく公報(B)(甲第三号証)には、硝子繊維より成る織物の層に合成樹脂繊維より成る織物の層を重ね合せたものを巻きつけたアイアン・クラツド型蓄電池極板の構造が、それぞれ開示されてあり、さらに同じく(C)の刊行物には、塩化ビニリデンレジンの項において、塩化ビニリデンの性質及び製法の記述につゞき、その共重合物について、その繊維は日光及び風雨に暴露しても変質するようなことがないから、工業用特殊布等に用いられる旨記載されてはいるけれども、その何れにも極板を袋の中に挿入した構造が示されているとも、またそれが暗示されているとも解せられず、さらにまた、これらを綜合したものが右の構造を暗示するものとも解せられないにもかゝわらず、本件審決(甲第五号証)は、本願の要旨を前記のとおり認定したうえ、右(A)(B)(C)の記載を引用して、「要はこの塩化ビニリデンの濾過布を採用することが実用新案法第一条のいう考案に該当するかどうかである。」となし、結局本願は右(A)(B)(C)の記載から当業者が容易にできるものと断定したものであることは、成立に争のない甲第二ないし第五号証により明らかであることを考え合せれば、本件審決は、前記説明書の訂正を看過し(本件審決をなすにあたり、前記訂正書の提出されてあることを看過したことは、本件弁論の全趣旨に徴して明らかである。)ひいては、本願が極板を塩化ビニリデンを主体とする共重合体化学濾過布で作つた袋の中に挿入した構造を考案構成の要件としていることを顧慮しないで、考案の要旨を認定し、かつ袋の作用・効果につき審理しないで、たやすく本願考案が旧実用新案法第一条の考案に該当しないと判断した点において、違法の審決であるといわざるを得ない。もつとも、成立に争のない甲第一号証の本願説明書の添附図面では、極板を袋に挿入したものであるかどうか、明らかでないけれども、それは、説明書の訂正が採用し得るものとする限りにおいて(右訂正が採用し得るものであるかどうかは、審決はその訂正書の提出されてあることを看過したものであること、前記のとおりであり、これが採否については、もとより何らの判断を与えていない。)、図面の不明瞭もしくは不完備なる場合として、これを訂正せしめて明瞭ならしめることを妨げるものではない、と解せられる。(昭和三十五年通商産業省令第十号及び第十一号をもつて廃止された大正十年農商務省令第三十三号及び第三十四号特許法施行規則第十一条第一、二項及び実用新案法施行規則第七条参照。)被告は、本件審決は原告提出の意見書に記載されている袋のことも考慮した、と主張するが、前記甲第五号証の審決書の全文を精読しても前記認定の意味における袋のことを考慮した形跡を認めることができない。また、被告は、出願当初の書類を基準として実用新案の要旨を認定することは、先願主義の立前から当然である、と主張し、出願考案の要旨認定にあたり、出願当初の書類に基準を求むべきは言うをまたないところであるけれども、要旨の変更にわたらない限りにおいて書類の訂正が認められることは前示各施行規則の規定に照して明らかであるから、適法に訂正書が提出され、その訂正が要旨を変更するものでないとすれば、これに基いて考案要旨を認定すべきものであるといわなくてはならない。
三、被告は、本件の袋とは被覆に対する形容詞的な意味、すなわち袋状に被覆すると解すべきであつて、審決引用の(A)に被覆の形態を「嚢状物中に陽極板を収納する」と記載しているのと全く一致する、といつているけれども、袋の中に挿入したときに、(A)の公報(甲第二号証)に記載してあるように、「其ノ接触面ニ聊ノ間隙モ無ク均等ニ密接」する、というようなことは、袋が特別の構造のもの(恐らくは袋の概念には入らないもの)でもない限り、あり得べからざることであつて、右甲第二号証中「硝子綿繊維層(2)ヲ以テ被覆シ更ニ其ノ外面ニ密接シテ微孔性護謨層(3)ヲ形成セシメ」と説明してあることをみれば、(A)の嚢状物というのは、被告がいうように袋ではなくて、むしろ、内容物に密接した有底筒体の意と解するのが、相当である。被告は、また、本件の蓄電池が原告の主張するように優秀なものであるかどうかは塩化ビニリデン化学濾過布を使用することによつて得られる特異性によつてのみ立証されなくてはならない、というが、極板を袋の中に挿入した点も本願考案の要件をなす以上は、布の点だけにとどまらず、その布で作つた袋の作用・効果につき判断を加えないことは、審理不尽か、理由不備の違法があるというのほかはない。審決引用の(A)(B)のように被覆したものと、本願のように袋に挿入したものとでは、明らかに構造を異にしているから、その奏する作用・効果の点においても、多少の差異のあるかも知れぬことは、一般常識よりしても見易い道理であるからである。
四、被告主張の昭和三十三年抗告審判第七六四号事件の考案は、本願におけるガラス・マツトを欠いた構造であることは、被告が該事件の実用新案の要旨であるとして主張するところからしても明瞭であり、本願の考案とは構造を異にするものであるから、右出願の拒絶が確定したことは、本件出願が拒絶せらるべきかどうかの判断とは何らの関係のないこと、言うまでもない。
五、原告の昭和三十三年八月三十日差出の訂正書による訂正が要旨の変更にわたらないものとして許さるべきかどうかは、別として、本件審決は右訂正を看過し、したがつて右訂正が許さるべきかどうかの判断、もし許されるとすれば訂正された内容において本件実用新案の登録出願を許すべきであるかどうかの判断をしなかつた点において違法であつて、その他の争点につき審究するまでもなく、とうてい取消をまぬかれないものといわなくてはならない。
〔編註〕 本件における当事者の主張は左のとおりである。
(1) 原告訴訟代理人は、主文通りの判決を求め、請求の原因として、かつ被告の主張に答えて、次のとおり主張した。
一、右審決は、次の点において違法であつて、取り消されるべきものである。
(一) 審決は本願の考案要旨を本願訂正前の説明書にある登録請求の範囲そのまゝに認定したが、本願の説明書は昭和三十三年八月三十日差出の訂正書により前記のとおり訂正されているのであつて、その登録請求の範囲においても当初の説明書においては「濾過布を以て被覆し」とあつたものが「化学濾過布を以て作りたる袋の中に挿入し」と訂正されたのである。すなわち、本願の考案では極板(1)の上端部を除く全表面に硝子マツト(2)を被覆し、その上を塩化ビニリデンを主体とする共重合物の濾過布で単に被覆したのではなく、前記の硝子マツト被覆極板を塩化ビニリデン共重合物の化学濾過布で作つた袋(3)に挿入したものであり、この構造が本願の図面に最もよく合致している。この「袋に挿入」の点こそ本願考案が新規の実用新案を構成する必須要件である。しかるに、審決はこの重要な訂正を看過したもので、審理不尽の違法あるを免れない。
(二) 次に審決は本願考案と前記公報(A)に記載されたもの(a)及び公報(B)に記載されたもの(b)とを比較し、「三者はいづれも活物質の脱落を防止する目的で極板の全表面を二重に被覆している点で一致するものであり、(中略)要はこの塩化ビニリデンの濾過布を採用することが実用新案法第一条にいう考案に該当するかどうかである。」といつて、本願の考案も、(a)(b)のように、極板に被覆した硝子マツトに「密接して」濾過布を「被覆」したものと解している。しかし、右各公報に記載するごとく、(a)及び(b)の極体被覆層は内層に外層を密接させたものであり、極体と外層との間では(b)では全く余裕がなく、また(a)でも余裕が少ないが、本願の考案では硝子マツトを被覆した極板を化学濾過布に挿入したのであるから、必然的に極板と袋との間に十分の余裕が生ずる点に、相違がある。これがため(a)でも(b)でも活物質の膨脹により被覆層が破損し、蓄電池を使用し得なくするが、本願の考案ではそのおそれが全くないのである。
(三) また、審決は「(C)によつて明らかにされていることは、塩化ビニリデンを主体とする共重合物が紡糸されて繊維となり、工業用特殊布その他の用途に供されることであつて、その有する性質は蓄電池極板被覆用の織布として採用され得ることを示唆するのに充分と認められる」といつている。なるほど刊行物(C)には塩化ビニリデンの共重合物からなる繊維が工業用特殊布その他に使用されるとの記載はあるが、化学濾過布に使用されるとの記載もなければ、もちろんこれで作つた袋を蓄電池陽極板被覆用にするとの記載もない。ちなみにここにいう化学濾過布とは蓄電池液のような強い酸性の化学薬品を侵されることなく濾過し、かつ活物質は微粉でも濾過しない目の微細な布を指し、織布の一種には違いないが、特別のものである。そして塩化ビニリデンを主体とする共重合物でも、ある物がこれに該当し、前記刊行物にも記載されている塩化ビニリデン共重合物のある種の織布では右の化学濾過布としては役立たないものである。この事実は苦心研究の結果ようやく知り得たところで、(C)に記載された塩化ビニリデン共重合物の性質から示唆されるようなものではない。また、単に示唆される程度に記載されたものを旧実用新案法第一条にいう考案の不該当事由にすることも、明らかに誤つている。けだし、刊行物記載を理由にして該法条にいう考案に該当しないというためには、当然同法第三条第二号のように容易に実施することを得べき程度に記載されたものでなければならないからである。
(四) 本願考案の塩化ビニリデン共重合物化学濾過布で作つた袋は、化学的に優秀なばかりでなく、物理的にも強靱で、硝子マツトと共に極板から活物質が脱落することを防止し、しかもその形体から隔離板の役をする。したがつて、本願の陽極板を使用すれば、(a)その他を使用する場合に必要とする隔離板を要しないので、これは蓄電池陽極板としては大きな実用効果といわなくてはならない。のみならず、本願の考案では、硝子マツトを被覆した極板を前記の化学濾過布で作つた袋に挿入するのであるから、陽極板、したがつて蓄電池の製造をすこぶる容易にする効果がある。
(五) このように、本願の考案は引用刊行物(A)(B)及び(C)に容易に実施できる程度に記載されたものから当業者が容易になし得るようなものではなく、その特異な構造と格別な作用効果とから、明らかに新規な実用新案を構成するものであつて、審決がその登録出願を拒絶すべきものとしたことは、まことに不当であり、違法の審決といわなくてはならない。
二、被告の主張に対して、公報(A)の記載中被告の指摘する部分は、陽極板に硝子綿を被覆し、その上に微孔性ゴムで被覆をした点であるが、被覆したまゝでは解披するので、周辺を接着したものであるのに過ぎず、したがつて嚢状物中に陽極板を収納する結果にはなつているが、微孔性ゴムの袋に挿入したのではない。このことは該公報中「二重層ヨリ成リ其ノ接触面ニ聊ノ間隙モ無ク均等ニ密接セル」の記載に徴して明らかで、袋の中に挿入する場合、このようにできないこと、いうまでもない。そして、かく密接しては余裕がないから、その構成物質の微孔性ゴムと相まつて、活物質の膨脹により早く破損するのである。また、公報(B)に記載の硝子繊維からなる織物層の外周に重ねた織物層を構成する合成樹脂繊維が塩化ビニリデン製のものを包含するということも、その明記がないばかりでなく、単なる塩化ビニリデンの織物と塩化ビニリデンを主体とする共重合物の化学濾過布とは異物であるし、またこれに記載のものは硝子繊維織物層に合成樹脂繊維織物層を密着させるので、活物質との間にいささかの余裕もないから、活物質の膨脹により破損し易く、永い使用にたえないものである。さらに、審決引用の(C)の刊行物中、塩化ビニリデンを主体とする共重合物が紡糸されて繊維となり、各種の用途に供され得る、という記載から蓄電池用セパレーターとして使用される得る可能性を推理し得る、というが、これでは容易に実施することを得べき程度に記載されたものということはできないし、塩化ビニリデンを主体とする共重合物を蓄電池のセパレーターとして使用することは慣用手段である、として、特許出願公告昭二六―七、〇六四号及び昭二八―四六六号の各公報(乙第一、二号証)をあげているが、前者には塩化ビニリデンと塩化ビニールとの共重合物で作つた特殊な微孔性隔離板の記載があつても、後者には塩化ビニリデンを主体とする共重合物を使用したことの記載がなく、したがつて前者が唯一公知例であつて、慣用手段であるということはできず、しかも本件訴訟は審決の当否を争うもので、抗告審判の審理の継続ではないから、審決の理由に引用した三種の刊行物のほかに、他の公知例を引証することは不当である。ちなみに審決引用の(C)記載の塩化ビニリデン共重合物の織布自体では蓄電池の隔離板として使用することができない。本願考案の特異な構造と優秀な作用効果についてはさきにも主張したが、もしこれを構成する各部が審決引用の(A)(B)(C)の各刊行物に容易に実施し得る程度に記載されているとしても、本願考案はそれらの単なる集合ではなく、その優秀な作用効果から、それらの結合により構成した新規の考案と認められるべきである。
三、なお、原告がした前記訂正は、もとより考案要旨を訂正するものではないが、訂正された説明書(甲第一号証)は原説明書(乙第三号証)と技術的内容を異にするものである。すなわち原説明書では登録請求範囲において「………濾過布を以て被覆し………」とあるのを「………化学濾過布を以て作りたる袋の中へ押入し………」と訂正したもので、「袋に挿入」は「被覆」の一手段であるから考案要旨の変更にはならないが、袋に挿入したことは蓄電池用陽極板の場合格別の作用効果があるので、単なる被覆とは技術的内容を異にするといわなければならない。そして、出願の当初に登録請求範囲の広いものを狭い範囲に訂正して登録を許されることは、特許庁において普通に行われるところで、これは訂正により考案要旨の変更は来たさないが、技術的内容を異ならしめたものであるということができよう。
四、審決引用(A)も嚢状物中に極板を収納した結果にはなつているが、これは極板の両面に微孔性ゴムのシートを密着したのちに周縁を接着したもので、本願考案のように袋状の物の中に極板を挿入したものではない。微孔性ゴムは脆弱であつて、これで袋を作ることはできないものである。なお、本願考案の特異性を要約すると、次のとおりである。
本願考案は極板を硝子マツトで被覆して、塩化ビニリデンを主体とする共重合物の化学濾過布で作つた袋に挿入したものであるから、陽極板の構造としては新規の型に属する。この構造のため、陽極板の製作がすこぶる容易な上に、極板と袋との間に著しく余裕があつて、活物質が膨脹しても、袋の材料と相まつて破損するおそれがない。また、その袋は化学的にきわめて安定な前記物質の化学濾過布で作つたので、強酸の電池液に何ら浸されないことはもちろん、これをよく通し、しかも活物質は微粉でも通さないし、かつ強靱であるから、柔軟な硝子マツトと相まつて活物質の膨脹収縮に適応してその脱落を防止する。したがつて本願考案の陽極板を使用すれば、蓄電池の構成に不可欠とされている隔離板(セパレーター)を必要としない。これがため蓄電池の構造を簡単にし、その製作を容易にするばかりでなく、蓄電池の寿命を長くすることは驚くほどで、普通の蓄電池の約三倍という画期的のものである。このように本願考案は顕著な実用効果を奏するものであるから、さきに大審院がなした「凡ソ或概念的考案ヲ実施スル方法ニ於テ多少類似スルトコロアルモ其ノ現ハス効果ニ著大ノ差異ヲ招来スル以上所謂新規ノ工夫トシテ発明タルヲ妨ケサルモノト解スルヲ相当トスヘシ」なる有名な判決(昭和九年(オ)第二、六九九号、昭和一〇・五・一一言渡)の趣旨に照しても、その登録性を認められてしかるべきものである。
五、被告主張の昭和三十三年抗告審判第七六四号事件にかゝる考案は、本願考案とは別異のものであり、右審判の審決が確定したことは、本願考案が旧実用新案法第一条の考案に該当するかしないかと何の関係もないことで、いわんや該審決は本件審決と全く同一の審判官によりなされたものであるにおいておやである。
(2) 被告指定代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、次のとおり答弁した。
一、原告主張の特許出願から、それを実用新案登録願に変更し、これに対する拒絶査定、抗告審判請求を経て、右請求は成り立たない、との審決があり、その審決書謄本が原告に送達されるにいたるまでの特許庁の手続に関する事実、並びに右抗告審判の審決の理由の要旨が、原告の出願の考案要旨を原告主張のとおりに認定したうえ、右考案は原告主張の三種の刊行物の記載から当業者の容易にできるものであつて、旧実用新案法第一条の考案と認めることはできない、というにあることについては、争わない。また原告が昭和三十三年八月三十日に、本願の説明書中登録請求の範囲に「濾過布を以て被覆し」とあるのを「化学濾過布を以て作りたる袋の中に挿入し」と訂正する旨の訂正書を差し出したことについても、争わないが、その他の原告の主張はすべてこれを争う。
二、(一)原告は右訂正書で訂正された通りの要旨認定が行われなかつたことを不服とするもののようであるが、審判が実用新案の要旨を認定するに当つて出願当初の書類を基準として判断することは、洗願主義を立前とする実用新案法の上から当然であり、審決に何らの違法はない。訂正書は出願当初の書類の要旨を変更するものでない場合に限り採用されるものであるから、右訂正書によつて訂正された説明書は原説明書とその技術的内容を異にするものであつてはならず、もしその技術的内容に変化があるのであれば、該訂正書は採用されないことに帰着するのである。まして、本件審決は、その審決をなすに当り原告に対し本件実用新案が実用新案法第一条にいう考案をなしたものと認めることのできない理由を通知し、原告の提出した意見書を十分検討した上でなされたものであつて、該意見書に記載されてある袋のことも考慮した上での判断であるから、審決に袋という文字を直接使用してないからといつて、審決が本件実用新案の要旨認定を誤まり、ひいてその判断を誤まつたということはない。
(二) 審決が本願を拒絶すべきものとしたことの理由に引いた昭和十年実用新案出願公告第六、三四三号公報(審決でいう(A))に記載されてある耐震式鉛蓄電池陽極板は、硝子綿と微孔性ゴムとで極板を二重に被覆したものであつて、その被覆の態様は該公報中「被覆包装したる構造」、「密接せる嚢状物中に陽極板を収納する」等の記載及び図面から判断すれば、原告の主張するような袋状の形態をとつているものと解することができる。また、特許出願公告昭二八―三、九二五号の公報(審決でいう(B))にしても、そこに記載されているアイアン・クラツド型蓄電池極板は、硝子繊維よりなる織物層の外周に合成樹脂繊維よりなる織物層を重ねて構成した円筒管内に活物質を充填したものであつて、該合成樹脂繊維が塩化ビニール、塩化ビニリデン等の合成樹脂の繊維を指していることは当業者の常識であるから、右刊行物の合成樹脂は塩化ビニリデンと明記してはなくても、それを包含することには疑がない。次に、「合成プラスチツクス」第一一三―一一六頁(審決でいう(C))は、塩化ビニリデン樹脂についてその物理的・化学的性質及び用途等を詳述したものであり、それが蓄電池用セパレーターとして使用され得る可能性は、これを主体とする共重合物が紡糸されて繊維となり、各種の用途に供され得る、というその記載から、当業者が容易にこれを推理し得るところである。一般に塩化ビニリデンを含む耐酸、耐酸化性合成樹脂が蓄電池のセパレーターに使用されることは周知慣用の事実であつて、原告の主張はこの周知慣用の技術ないしは常識をとらえて、考案をなしたものと主張しているに過ぎない。なお、塩化ビニリデンを主体とする共重合物を蓄電池セパレーターとして使用することが慣用の手段であることは、特許出願公告昭二六―七、〇六四号公報(乙第一号証)及び同昭二八―四六六号公報(同第二号証)の各記載によるも明らかである。
三、原告は審決引用の(A)のものが袋でないと主張するが、被告のみるところでは、これは袋であつて、それが本願実用新案と相違するところは、袋体形成の材料がゴムか塩化ビニリデンを主体とする共重合物かに帰着するだけである。また、塩化ビニリデンを主体とする共重合物が蓄電池極板の被覆材料として使用されうることを(C)の刊行物から推理することは、この分野に属する当業者の通常の技術上の知識からすれば、何らの考案力を要することなく、容易になし得る程度のことであつて原告の主張はこの自明の理を否定するものである。
四、原告は本願考案においては予め濾過布で作つた袋の中に極板を余裕をもたせて挿入したものであると主張するが、本件出願書類には本案の構造が袋に余裕をもたせて挿入された極板であることを示唆するに足る記載はない。本願の要旨とする構造は審決が認定したとおりのものであり、訂正書の採用されるゆえんは被覆の一形態としての袋、すなわち袋状に被覆するという限りにおいてであつて、これからさらに飛躍して、予め袋を作り、十分な余裕をもたせて極板を挿入することを本願考案の要旨であると主張するのであれば、要旨を変更するものとして採用され得ないものであること、いうまでもない。本件の袋とは被覆に対する形容詞的な意味、すなわち袋状に被覆すると解すべきであつて、審決引用の(A)が被覆の形態を「嚢状物中に陽極板を収納する」と記載しているのと、全く一致するものである。原告は(A)の微孔性ゴム板は脆弱であつて、蓄電池の構成材料として使用し得ない、とも主張するが、微孔性ゴム板のすべてが原告主張のように脆弱なものばかりではなく、現実に微孔性ゴム板が蓄電池に使用されていたことは、わが国著名の蓄電池製造業者である日本電池株式会社、湯浅電池株式会社がこれに関する幾多の工業所有権を保有していたことによつても明らかであり、中村静雄、北村寒吉共著の「電池及蓄電池」(昭和十四年、合資会社共立社発行)(乙第五号証)に、隔離板の性質の一として強度の大であることを要件とした上で微孔性ゴム隔離板をあげていることを考えれば、微孔性ゴム板のすべてが、原告主張のように脆弱なものではないことが明らかである。本件の蓄電池が原告の主張するように優秀なものであるかどうかは、塩化ビニリデン化学濾過布を使用することによつて得られる特異性によつて立証されなくてはならず、そして、それは塩化ビニリデン濾過布の有する公知の性質がもたらす必然的な効果であつてはならない。もしそうであれば、単なる材料変換の域を脱し得ないで、実用新案法にいう考案にはならないであろう。高分子化学の発達は日進月歩であつて、蓄電池極板の被覆材料として幾多の化学濾過布が当業者の眼前に展開されている。その中から特に塩化ビニリデン濾過布を採用するのであれば、それだけの理由がなければならない。そして、塩化ビニリデン濾過布を採用することによつて予期し得ない新しい効果を見出すときに、始めて考案が成立するのであつて、原告の本件出願においては全くかゝる事実を認めることができないのである。
五、なお、本件に関連して、特許庁には次のような事実が存する。それは、原告によつて本件の原特許出願と同日である昭和二十九年九月十八日に出願された昭和二十九年特許願第二〇、一六〇号が旧実用新案法第五条によつて、これも本件と同じ昭和三十年七月二十二日に昭和三十年実用新案登録願第三四、四八一号に出願変更されているが、その実用新案の要旨は「極板をポリ塩化ビニリデン化学濾過布の如き耐硫酸繊維濾過布をもつて作つた袋の中に挿入し、崩壊鉛粉が袋外に放出されないようにした鉛硫酸二次電池極板の構造」であつて、この実用新案は本件の実用新案と同じ日に拒絶査定をされ、同じ日にこれに不服の抗告審判の請求(昭和三十三年抗告審判第七六四号)がなされ、同じ日にその請求の成り立たない旨の審決を受けたのであるが、この審決に対しては訴が提起されることなく、昭和三十四年六月二日に該審決は確定しているということであつて、以上の事実と本件における原告の主張とを照し合せて考えると、原告の意図するところ奈辺にある哉、その理解に苦しむものである。